フラグメント22
Episode19: Nameless Sun



アマテラス、剣なる神と対峙せり。
剣なる神、力尽きてヒトの身に潜むことになれり。
されど、剣なる神の再臨はさだめられり。
アマテラス、剣なる神現れし時再び我らのもとに来訪せり。
その時まで、流浪の神となれり。


―― 妖に古くから伝わる口伝より抜粋。



   クリスマスから遡って一週間ほどばかりは、平日にそうそう客の訪れないその店にも、それなりに忙しい日々が続いた。
 骨董品店『閑古鳥(かんこどり)』。
 名前のせいか、扱う品物のせいなのか客に恵まれない店である。
 立地も良くなかった。閑静な住宅街の中にぽつんと位置しており、周囲の住宅にすら積極的な宣伝活動をしていない。
 建物全体は確りとした造りなのだが、外観が古めかしく、時の移ろいに置いていかれた子供のようだった。
 それでも何とか、骨董商の広いようで狭い交友網からの紹介状を持った顧客や、個人での蒐集家など、ぽつりぽつりと訪れる
人々を確保している。
 閑古鳥にもクリスマスというイベントの魔力は訪れてくれたようだ。ふだん来店しない近隣の人々は、イベントだからと財布の紐を
緩め、品物に大いに満足して帰ってくれた。
 クリスマスキャンドルの燭台。
 ディナー用の銀食器一式。
 トナカイの木彫り。
 天使のペーパーウェイト。
 クロスモチーフのペンダント。
 品物をクリスマス仕様に並べ替え、包装紙は赤と緑を基調に、リボンは金色と銀色を。店の外にはささやかなクリスマスツリーを。
 店主の意識的な商売努力はそこそこの成果を上げたが、明日からはまた、置いてけぼりの子供に戻るのだろう。
 閑古鳥唯一のバイト店員の少年はといえば、本日の売れ行きに鼻歌を交えつつ軽快に店じまいをしていた。
 外のツリーを店内に一旦移動し、入口を施錠。外に面した出窓のカーテンを引く。
 少年は東柳(ひがしやなぎ)和乃進(かずのしん)といい、リーゼントに加えある筋の人間が好みそうな原色一色の上下という、やはり容貌も強面のはっきりと
言ってどうにも骨董品店に似合わない店員だった。それでもなかなか器用に品物から埃を払い、布をかけていく。
 店内の作業を終えると、今度はツリーを応接間に移動させた。六畳の空間には向い合せにソファが置かれ、その間には応接机が
ある。
 普段は来客用の部屋だが、今日これからはささやかなパーティーの会場となるのだ。応接机の上にはすでにテーブルクロスが掛け
られ、食器もセットされていた。
 応接室のとなりの給湯室から、芳香がたゆたって来ている。
 いつもなら、匂いが来客用の部屋に漏れてはいけないと換気扇周りや排気には店主が相当に気を使っているのだが、今日という日は
特別であった。
 たぶん、クリスマスの成せる雰囲気に違いない。
 東柳は店主が昨日から腕によりをかけて準備していると知っていたので、待ち切れずに給湯室を覗く。
「兄貴、店じまい終わりやした!」
「ありがとう。こっちももうすぐに終わるよ」
 答えたのは、店主の優月(ゆうづき)だ。彼はケーキの台を回しながらナイフで美しく生クリームをコーティングしていた。
 細めの瞳をますます細くして、真剣にケーキと向き合っている。スーツのジャケットを脱いで腕まくりをし腰にエプロンを巻く立ち姿は、
なかなかに絵になるものだった。
 優月の正体は黒狼の妖なのだが、この状態からは想像が難しい。単なる料理好きの青年にしか見えない。
 すぐ隣のコンロでは弱火で煮込まれ続けたビーフシチューがその存在をこれでもかと主張しており、東柳はひくひくと鼻を動かす。
「すげぇいい匂いっすねぇ。もー俺めちゃくちゃ腹減ったっす」
 外見だけはしっかりとした男であるのに、少年そのままの東柳の物言いに優月は笑う。
「料理ってもっと時間かかるもんだと思ってたっすけど、兄貴は何でも出来るんですねぇ。尊敬しやす」
「下準備は昨日までに済ませてあったからね。今日することはあまりなかったんだ」
「いやあ、うちのババアに兄貴の爪の垢を煎じて飲ませてやりてぇですよ。卵焼きを作るのに電子レンジ使ってドカンっつー、女なもんで」
 それはそれはと苦笑しつつ、優月の手は順調にケーキを装飾していく。一段目のスポンジに、苺をバランスよく並べる。
 クリスマスケーキがどんなものになるか聞いていなかった東柳は、その未来の姿をぽつりと呟いた。
「・・・ショートケーキなんすか?」
「もしかして嫌いだったかな?」
 声の調子が意外なほど低かったので、優月は作業の手を止めて東柳を見た。真剣に見据えられた東柳は慌てて否定する。
「違えますよ。なんつーか、意外だなーと思ったもんで」
「意外というと、何がだい?」
「いんや、兄貴なら相当凝ったケーキにするのかと手前勝手に思い込んでたもんで。俺もショートケーキは好きっすけど、もっと豪華な
ケーキがあるじゃねぇっすか。チョコレートとか、丸太みたいなかたちの奴とか」
 ああ、と納得して優月は笑う。そして種明かしする。
「実はリクエストでね、十年以上ここでは毎年ショートケーキなんだよ」
「姐さんっすか?」
 ここにはいない少女のことを思い起こし、増えた謎がますます東柳の強面をしかめさせる。
「ますます意外っす。姐さんは世界のあちこちを旅してらっしゃるんですよね?だったら、もっと派手なのとか知ってそうじゃねぇですか。
ショートケーキはバリバリ庶民派ですよ。その気になったら毎日でも食えやす」
「トーリュー君は、ショートケーキがどこで生まれたものか知っているかな?」
 悪戯心を起こした優月は謎かけをした。東柳は当然だといわんばかりに即答する。
「どこかの外国でしょう」
「実は日本なんだよ」
「マジっすか?ケーキって全部外国生まれじゃねぇんですか?」
「ショートケーキの原型はイギリスのショートブレッドというものなんだけど、これはバタークッキーと苺や果物を混ぜたクリームを層状に
かさねたものなんだ。元々、『ショート』という単語も、『短い』ではなくて、『サクサクとした』とか『もろい』とかいう意味合いだしね」
 ほうほう、と東柳は頷く。
「そりゃまたショートケーキとは違えっすね。ショートケーキっていやぁ、こう柔らかくて、生クリームが乗ってっつう、感じですよ」
 半ば教師になった心持ちで優月は続ける。
「昭和のはじめ頃に、フランスで修業した日本人パティシエが日本人向けに考えて作ったものが、この国で言われる、スポンジケーキと
生クリームに苺の組合せのショートケーキの原型なんだよ。つまり、日本人の味覚に一番合っているケーキだと言えるかもしれないね」
 うぉー、と溜息めいた歓声を上げて東柳は瞳を輝かせた。
「そう聞くとすげぇ奴なんすね、ショートケーキの野郎は」
 東柳の物言いに、優月は微笑む。
「日本だとクリスマスケーキは大概ショートケーキだよね。それ以外の、たとえばチョコレートケーキとかでもスポンジケーキという点で
共通しているけれど、これは世界的に見て少数派なんだ」
「そりゃまた何で?」
「世界的に、というより唯一神教国家ではと言い換えたほうがいいかもしれないかな。イギリスはクリスマス・プティングといって、
レーズンをたっぷり入れた蒸しフルーツケーキ。ドイツもフールケーキで名前はシュトレン、これもレーズンや木の実にドライフルーツ
とかを入れてある。イタリアはパネットーネ、これは菓子パンだね。でも、レーズン、プラムにオレンジピールなんかのドライフルーツを
入れるところは同じなんだ。これらはみんな日持ちのするケーキなんだよ」
 すらすらと出てくるケーキの名前に、東柳は翻弄された。かろうじて共通点は理解したが、目の前の人間社会―それも欧州まで―に
ついて勉強熱心な妖にはいつも驚かされる。
 自身の異様な勉強熱には気づかないまま、優月は解説する。
「唯一神教国家では、クリスマスは遠くで暮らしていた家族が戻ってきて近況を話し合う、日本の正月みたいなものだからなんだ。
だから、早めに準備に入って日持ちのするケーキを作っておいて、ゆっくり過ごす。趣きは大分違うけれど、おせちの考え方だね。
おせちは三が日だけでも、家事の担い手の主婦を休ませてあげるという意図のものだから」
 手を止めてはいけないと、優月はデコレーションの最後の仕上げに取り掛かる。ボウルに残る生クリームをボウルから絞り袋に移し
た。
「例外もあって、これはフランスのブッシュ・ド・ノエル。このケーキは丸太の形を模してクリームをたっぷり使うんだけど、あまり日持ちが
しないね」
「それなら知ってやす。結構よく見ますね」
 ようやく知っている名前が出たので、東柳は繰り返し頷く。
 優月は丸いキャンバスにリボンを描き、山を作った。山と山との間には苺が乗せられる。
「前置きが長くなってしまったけど、ショートケーキ自体を初めて食べて美味しかったことと、クリスマスの時期に日本で普通にスポンジ
ケーキが食べられることに感動したみたいなんだ」
 話のそもそもの発端がかの少女がショートケーキをリクエストしたことだと東柳は思い出して、更に優月の長い長い講釈がその理由を
説明したものだったと再確認して言う。
「ははあ、なるほど・・・。だからショートケーキを・・・って、ショートケーキが初めて?!本当に姐さんは日本人なんすか?!いやいや、
姐さんは日本人どころか人間でもねぇからおかしくねぇのか、いやいや、でも姐さんは日本の妖の間で伝説的存在だから長く日本に
いるってことになるだろうが、てことはやっぱりおかしいんか・・・。分かんねぇーッ!」
「あのひとが前にこの国にいたのはもう八十年以上前で、戻ったのは二十年前だからショートケーキが出来たのは知らなかったんだよ。
その間は欧州を回っていたそうだし、西洋のケーキの甘さよりも舌に合うとも言っていたね」
 思考の沼に入り込んだ少年に、優月は別の説明を添えた。もちろん、冷蔵庫からシュガークラフトを取り出すのも忘れない。入念に
造りこんだ、マジパンと砂糖製の芸術品だ。
「はちじゅうねん・・・」
 指を折り折り計算して、東柳はようやく納得する。
「えーと、姐さんは八十ひく二十で、大体六十年くらい外国にいらっしゃったと。おう?姐さんと兄貴とはものすげぇツーカーですけど、
どれぐれぇの付き合いなんすか?」
 優月が百歳には満たない齢であると聞いていた東柳は、八十年前という数字と彼らの意思疎通の確かさとの違和感に眉を寄せた。
 手を止め、どこか遠い目をして優月は答える。
「・・・初めて出逢ったのは八十六年前で、その時に一緒にいれたのは結局二年もなかったよ。あのひとが日本にいるのは、<剣神(けんしん)>が
生まれたときだけだからね」
 <アマテラス>と<剣神>とは、異界からの来訪者であることは同じだが、そのこの世界での在り方は大きく違う。
 <剣神>は特定の人間の血統に潜み、「生まれ変わる」ことで顕現をする。生まれながらにして自身の肉体を持ち、肉体の死を迎える
までは次の器へと移動することはない。しかも日本に根付いており、故にこの国の妖にとっては脅威だ。但し、次代へ「生まれ変わる」
までにはいく年かのブランクがあるので、その間だけは僅かばかりの平安が享受できる。
 反して、<アマテラス>は常に器を変え、世界を放浪し、<剣神>が顕現している間のみ必ず日本に逗留する。当代の<剣神>が
―正確には肉体が―死を迎えると、また外つ国へと移動するのだ。
 先代の<剣神>が死して、六十六年。長き不在の後に当代が顕現。<アマテラス>もまた現れた。
「ようやく再会できたのは、十二年前なんだ。それからはこうして一緒に行動させてもらっているんだよ」
 あのときのことは、この先に何度も何度も思い出すことになるのだろう。
 突然の別れから長く長く待ち続けた日だった。
 ――アマテラス、剣なる神現れし時再び我らのもとに来訪せり。
 それだけを拠り所にして、七十二年待ち続けたのだ。
「この十二年はもう嬉しくて嬉しくて仕方がなかったな」
「・・・・うう、姐さんと兄貴には俺なんざが察せねぇ歴史があるんすね。感動っす、うう、涙でクリスマスケーキが見えやせん」
 外見と体格とを裏切る感受性の高さを持つ東柳はおいおいと泣きだした。シャツの袖がみるみるうちに涙で濡れる。
 優月は微笑んで、シュガークラフトのサンタクロースをそっとつまんで、ケーキの中央に乗せた。
「だから、これからトーリュー君も含めて長く一緒にいれたら、もっと嬉しいね」
「あ、兄貴ィーッ!」
 優月がますます泣きだした東柳をどう落ち着かせようかな、と首を傾げたところに、がつんがつんと破壊的な音が裏口から聞こえ出し
た。いくらか建物も揺れている気配がする。
「おーい、開けろー。両手が塞がってるんだ」
 相手はどうやら扉を蹴っているらしく、みしみしと崩壊までのカウントダウンの音が聞こえ始めた。
「今開けますから蹴るのを止めてください」
 穏やかに答えながら、それでも素早く裏口に向かい開ける。この季節に裏口を破壊されたら妖といえど、寒気は堪える。修理も大変だ。
 外はちらちらと粉雪が降り始めていた。
 少女は垂れ下がった先端に白い毛玉のついた赤い三角帽子に、緑と赤と白とのコントラストのカクテルドレスを着ていた。すらりと伸び
た白い脚は黒のロングブーツで覆われていて、その先端には削れた扉の塗料がこびり付いている。
 彼女は、右手にはケンタッキーフライドチキンを、左手には金色のリボンでラッピングされたシャンパンボトルを抱えていた。
 優月はその姿に微笑んで少女を招き入れる。
「どうぞ、サンタクロースさん」
「おう、入るぞー」
 少女がひょいと入り込んだところで、立ち直った東柳がその姿を認める。
「姐さん、いらっしゃいやし」
「ケンタとシャンパンだ。日本のクリスマスには欠かせんだろう」
「・・・日本の文化に染まりまくりっすね。しかもサンタのコスプレなんて、グラビアとか風俗みたいでエロ、はぐぉッ!」
 要らないことを言ってしまったが為、ブーツで尻を蹴られるという制裁を受けた東柳はへなへなと崩れ落ちた。左右に転がって身悶え
る。
 構わず少女はクリスマスケーキを認めて、頷く。
「よし、ショートケーキだな。飾りのサンタは僕が貰うから、そのつもりで」
 ふんふんと鼻歌と共に応接間に少女が向かったのを見て、優月はそっと裏口を閉めた。その隙間からするりと雪が舞いこみ、床に
落ちて溶ける。
 東柳は優月の邪魔になってはいけないと、ずりずりと床を這いずりながら少女に続く。
 苦笑して優月はもう一つごく小さな絞り袋を用意し、湯せんで溶かしたチョコレートを流しこむ。
 そして、サンタの足元に文字を書いた。

 メリークリスマス。

/ 了

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